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由緒・由来

岩戸別神社 【いわとわけじんじゃ】

弘仁元年(810)九月に神霊示現し給ったので、字鳥屋の越と称する山上に奉齋したことを創始とする。後代字横峯の山に遷座、更に享徳年間(834~848)に至って現在地に遷座し奉齋した。当時境内地は、当社禰宜の所有地であったので領主松平下総守は地付林を神社と定めた。享保十九(1734)年、正一位岩戸別大明神の宣旨を下賜され、船生郷の総鎮守と定められた。嘉永四(1851)年、社殿改築の儀起こり、安政二(1855)年に仮遷座祭を厳修して工事に着手。安政四(1857)年四月に落成。二九日に正遷座祭を挙行した。御鎮座以来、武運開運の神として神威高く、古来崇敬の誠を捧げる者は県外にまでおよぶ。社殿は樹齢150年以上の杉の古木に覆われて社厳極まる神域となっている。

天の岩戸開きの神話

神代の昔、高天原を治めていた天照大神という太陽の神様がおりました。この神様は須佐之男命という弟神がおり悪事をはたらいては、姉の天照大神を困らせていました。ある日、須佐之男命は布を織る母屋に皮をはいだ馬を投げ入れ、中にいた織子驚き針で胸を突いて死んでしまいこれを見ていた天照大神は天の岩屋に入り戸を閉じてしまいました。その時、天も地も真暗になり多くの災いが起こり不安になった他の神々は一刻も早く天照大神を岩屋から出そうと天の安河原に集まり相談をしました。その結果、天の岩戸の前に神々を集め天鈿女命に踊らせることになりました。天鈿女命があまりにもおかしく踊るので周りでみていた神々は一声に笑いはじめました。岩屋の外があまりにも賑やかなのを不思議に思われた天照大神は、岩戸を少し開はられると戸のそばに隠れていた天手力雄命は、満身の力を込めて岩戸を押し開き天照大神を岩屋からお出しになりました。こうして再び天と地に光が戻ったということです。

ご祭神

金山神社(金山彦命・金山姫命) 松尾神社(松尾大神)
天神社(菅原道真命) 神明社(天照大神)
愛宕神社(軻遇突智命) 稲荷神社(稲倉魂命)
鹿島神社(武甕槌命・経津主命) 八坂神社(武速須佐之男命・奇稲田姫命)
高原山神社(大己貴命) 大国社(大国主命)
水神社(天水別命・国水別命) 三峯神社(伊弉諾尊・伊弉册尊)
    

文化財

社叢 昭和56年5月26日塩谷町天然記念物指定本殿を取り囲むように茂っているのが、樹齢100年から300年の杉で、ところどころにサワラが混植されているが、総本数は約200本である。 この中で群を抜くのは参道入口の左右にある3本の杉と第3鳥居近くにある1本の杉である。